



いよいよ、迫ってまいりました!「没後400年 特別展 長谷川等伯」。
東京国立博物館で2010年 2/23(火)〜 3/22(月)
京都国立博物館では4/10(土)〜5/9(日)
等伯の代表作を一挙に公開する史上最大かつ超短期開催というスリリングな大イベント。
Becleでは等伯展に先立ち、2/20(土)発売の「美術の窓 戦国絵師長谷川等伯」誌ご協力のもと、
等伯ゆかりの地「京都」を電動アシスト自転車PASをレンタルして巡って予習の旅に出かけることにしました!
「偉大な作品を鑑賞する」+「人間等伯を感じる」で誰よりも等伯展を楽しんで学んじゃいましょう。
おなじみ「京の楽チャリ 東山三条店」でPASをレンタル!

まずは壮快に鴨川を走って、長谷川さん最重要ポイント「本法寺」に向かいます。 本法寺は、長谷川さんが故郷七尾から上洛してから人生を通して、礎とした場所なんです。
京の楽チャリ〜本法寺
への道のり
ココで勉強だ!長谷川さんが七尾から京都に来るまでのお話。

長谷川等伯(信春)重要文化財 三十番神図 1幅 94.5×39.1cm
絹本着色 永禄9年(1566) 富山(高岡市)・大法寺蔵
1539年、時は戦国時代、長谷川等伯は能登の畠山氏の家臣の家に生まれ、幼くして染物屋の長谷川家の養子に出されます。そこで、家業の染め物修行をするとともに、絵仏師として活躍し始めるのです。現存するもっとも古い作品は、高岡市の大法寺にある「釈迦多宝如来像」「鬼子母神十羅刹女像」「日蓮聖人像」(いずれも重要文化財)、羽咋市正覚院の「十二天像」、そして「弁財天十五童子像」。
26歳の時の作品とされていますから、おそらく10代のころから絵仏師として活躍していたと考えられます。
このころは長谷川等伯という名ではなく、長谷川信春という名前をつかっていました。信春時代の作品の特徴は脅威の細密描写。効果な金箔が能登にまだ伝わっていなかった頃に、金泥をつかってあたかも金箔のような表現を施すなど絵画技術の高さを伺わせるエピソードが残っています。等伯はこの七尾時代の絵仏師と染物屋という基盤をもって、大絵師へのスタートラインに立つのでございます。
等伯が、故郷七尾を出て京都での活動の基盤としたのはここ本法寺。

境内には、長谷川等伯像が立っています。
このように上洛した等伯は希望や野心を胸に本法寺の境内を見上げたのですかね。

この本法寺には、等伯の人生を語る上で重要な作品が多数所蔵されています。
・本法寺第8世を描いた肖像画「日堯上人像(重要文化財)」
・等伯の人生のキーパソーンとされる「日通上人像(重要文化財)」。
この日通上人は、等伯の生の言葉を知る事のできる「等伯画説」を筆記した人物であるとともに、
等伯が千利休を始めとする堺の有力茶人・僧たちと関係を持つための橋渡しをした人物とされています。
・等伯が描いた唯一の女性肖像であり、唯一の下絵「妙法尼像(重要文化財)」

左:長谷川等伯 重要文化財 日通上人像 1幅 106.7×51.6cm 絹本着色 慶長13年(1608) 京都・本法寺蔵 /右:日通 重要文化財「等伯画説」1冊 27.3×20.0cm 紙本墨書 京都・本法寺蔵)
あまり人が訪れることのない静かなお寺ですが、この本法寺さん尋常ではありません。
ここは等伯だけではなく、桃山時代のマルチアーティスト、本阿弥光悦ゆかりのお寺でもあります。本法寺は、元々は別の場所にあったのですが、移転工事の際、私財を投じ協力したのが本阿弥家。等伯像の傍らには、光悦が植えたとされる松の木、また光悦作の三巴の庭は国の名勝として残されています。また、涅槃堂には尾形光琳の花台もあり、等伯、光悦、光琳という日蓮宗徒の才能のネットワークを感じることができます。
本阿弥光悦作「三巴の庭」

知られざる名勝「三巴の庭」は
桃山風の枯山水庭園。
えーっと、突然ですが、、、、
粋なBecleは 庭について解説するなどそんな無粋なことはやりません。
今回は、京都のパノラマ怪人 二宮さん @qtvr_masterの
ご協力の元、パノラマ撮影をしてみました。
ちなみにこの二宮氏。パノラマの達人であるだけでなく和紙研究者でもあり、
カフェ、スィーツ、料理とあまりにも多才。Becleスタッフが怪人と呼ぶ由縁です。
それでは、三巴の庭にレッツ パノラマ!
>>本法寺 巴の庭 - VR Podcast:フルスクリーンパノラマムービー
さて、お庭から、何を感じ解釈されるでしょうか。本法寺のご住職も「庭と語らいなさい、そうすれば光悦がなにをつくろうとしたかがわかってきますよ」とのこと。
まあ正直なところ、Becleは、なんだかわからなかったのですが、、、
日だまりの縁側に腰掛け、ご住職とお話しながら眺める三つ巴の庭は、飽きることなく目を楽しませてくれました。
きっと等伯、光悦のように深く根ざした信仰心があると、また感じ方も深まるんじゃないでしょうかね。
等伯の人生の中で切っても切りきれない重要な人物が「狩野永徳」。
今回は、等伯の人生を追っかける旅がテーマですので、永徳を訪ねて少し変則的な移動をしてみます。
本法寺から、PASに乗って、南へもどります。

たどり着いたのは「元誓願寺橋」。

橋を渡り、生活感ある道を進むと、

YAMAHAの古い看板が見えます。
(何気なく宣伝。ヤマハ!)

左奥の路地を進みます。
すると、見落としてしまいそうな、一本の石表。
石表には「此附近 狩野元信邸址」と刻まれています。
天下の狩野家の歴代トップはこの地に邸宅を持ちました。
いづれ等伯は長谷川派として、この狩野派の不動の地位を脅かす存在となるわけです。
狩野家の若き御曹司「狩野永徳」と七尾の絵仏師「長谷川等伯」、
戦国時代の天才絵師2人の因縁の関係は、こんなに近い距離で繰り広げられたわけですね。
Becleはこの石碑を見つけるまでPASでなんどもいったりきたり、
結局タバコ屋のおばちゃんに、「なんか一本立ってんでー」と教えてもらいたどり着きました。
それほどひっそりと佇む狩野図子ですが、当時は邸宅の周りに弟子や出入り業者たちの家も立ち並んでいたはず。
さぞ賑やかな街並だったことでしょうね。
2/20発売の美術の窓では、現在、狩野永徳を主人公とした小説「花鳥の夢」を「別册文芸春秋」で掲載されている山本兼一さんに対談に登場して頂いています。山本兼一さんは実際にこの場所を訪れたときに、当時の様子がまざまざと目に浮かんだそうです。
本法寺
〜元誓願寺橋〜狩野図子
までの道のり
狩野図子を後にして、等伯、人生の大転機の地となる大徳寺にPASをすすめますよ!
途中に、長谷川一派の代表作品といわれる「松桜図」「桜鉾杉図」などの重要文化財の襖絵を持つ「妙蓮寺」があります。
エリザベス女王が来日された際には、どうしてもこの障壁画がみたいとのご要望から、東京まで運んで披露したエピソードがあります。
ちなみに、妙蓮寺の境内には御会式桜といって、10月から咲き始める不思議な桜があり、この取材は1月でしたが、美しい花を咲かせていました。


狩野図子
〜妙蓮寺
〜大徳寺
への道のり
さて、大徳寺に向かいます。

「等伯」が誕生した場所。大徳寺三門
天下の狩野永徳を尻目に、なんと等伯が大抜擢されたのが大徳寺三門の天井画を含む彩色。このとき等伯は、それまでの信春から「等伯」へ名前を変えたとも言われています。不明な点はありますが事実上、戦国絵師「長谷川等伯」が日本美術史に現れた場所だと言えるでしょう。(残念ながらこの天井画は一般公開はされていません。)これまで、大徳寺の仕事といえば、必ず狩野派が手がけていました。それを田舎からやってきた等伯にかっさらわれたのですから、永徳の悔しさといったら無かったでしょうね。その悔しさが引き起こした事件は、後ほど訪れる京都御所へと続きます。
三門が語るもう一人の天才
この大覚寺三門は、等伯だけでなく、もう一人の天才と大変縁が深い場所であります。この三門の上層には改修に貢献した千利休の木像がおかれています。謎が多い利休の切腹の原因のひとつに、雪駄履きの利休像がある門の下をくぐらせるのかと、秀吉が怒ったからだとも言われています。真偽のほどはわかりませんが、歴史の表舞台に出た等伯と、後に命を絶つ事になる利休。人生の明暗がこの三門改修時期から分かれるわけです。ちなみに、等伯が三門の仕事を任せられたのは、利休のバックアップが大きいといわれています。狩野派の絵師が書いた「本朝画史」には利休と等伯が組んで永徳を誹謗中傷したようなことが書かれています。
長谷川さん、三玄院で「山水図襖」を一気呵成に描き上げる

ここの襖絵には等伯の思い立ったら一直線に突き進むエピソードが残されています。等伯は前々からここの襖に絵が書きたくてしょうがなかった。再三、住職に頼んでいたのですが、どうしても断られる。そこで、等伯は住職の留守中に勝手に上がり込んでは、一気呵成に描きあげてしまったというお話。等伯が描いたのは、牧谿らの作品を映した山水図。襖にもともとある地紋を牡丹雪にみたてたとも言われます。この襖はその後、明治期に廃仏毀釈の波によって、高台寺の圓徳院と楽家に分かれて移っています。

長谷川等伯 重要文化財 山水図襖 4面 各176.7×94.5cm 紙本墨画 天正17年(1589)京都・圓徳院蔵
長谷川さん牧谿画と出会う
大徳寺といえば超がつくほど有名なのが牧谿の三幅対「観音・猿猴・竹鶴図」(国宝)でしょう。大徳寺に出入りしていた等伯は、勿論この作品をみたのでしょう。等伯はあきらかに影響された「枯木猿猴図」(重要文化財)(2/20発売 美術の窓の表紙です)を同じ大徳寺にある龍泉庵に残しています。(作品は現在博物館に寄託)等伯にとって三門でスターダムに駆け上がり、後期の水墨画家等伯のきっかけとなった大徳寺。歴史の中で様々な人物の人生に関わってきたこの場所は、等伯にも多大な影響を与えたわけですね。
それでは、PASを進めて、さらに長谷川さんの人生を追っかけますよー。
次は因縁の「京都御所」。